まげブロ

WEB上で合法的に全裸になるブログ

MENYA BIBIRI #今日のサイト

趣味で1日1サイト、UI研究しているので、どこかにアーカイブしていきたいなと思いまして。

 

今日のサイト:MENYA BIBIRI http://menya-bibiri.net/


コントラスト強めの写真や、コクのあるフォントづかい、湯気と共に溢れ出るシズル感。ラーメンの旨味を感じるサイトでした。
 

フォント使いが芸術的

トップページにはアクセントとして筑紫Aオールド明朝が使用されている。

そして2階層目以降に入ると、筑紫Bオールド明朝へと変化する。

個人的には「のれんをくぐったものだけが味わうことのできるラーメンの味」を象徴しているように思えて感動した。もしこれを作ったデザイナさんが意図した通りだったとしたら、本当に腕のいいデザイナさんだと思う。

 

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2改装目以降には筑紫Bオールド明朝

 

どこまでも追求された素材の立体感

食材であり、画像であり、二つの意味で素材ですが、

HTMLによるUIパーツはすべてフラットにして清潔感を保ち、対照的にラーメンの器や具材の写真などはすべてしっかりと影をほどこし、前景として主張。

背景画像が要所要所でパララクッス実装されており、湯気のそうまで数えると合計4層構造に。素材を生かした素晴らしい演出だと思う。

 

https://gyazo.com/f2c784ebfdf749e9199d419eb7db0051

 

 

キュッとしまったカーニング

svg化されたテキスト部分だけでなく、約物がデフォルトで半角になる Yaku han sans をつかうなど、きちんとカーニングを締めているので読みやすく、ラーメン屋としての力強さを感じる。

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ワンポイントの黒背景縦書き文字が、訴求力抜群。

要所要所で黒背景縦書きという圧倒的な存在感をもちつつまったくデザインを乱さない黒背景縦書き文字が、サイトになくてはならない存在になっている。

いやでも目がいってしまう黒帯が、強烈な訴求力を持って迫ってくる。 

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徹底した角丸の排除で際立つ器

前述の素材の立体感に通づるが、徹底的にUIパーツから角Rを排除することで、満を辞して面の器が登場する。

これぞコントラストという、デザインの鏡のような演出。

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本日はここまで。

ぜひ行って上から下まで見てみてね。

menya-bibiri.net

ミニマリストを極めるために、持ち物を晒してみます。

今日は、自称ミニマリストの僕が、これだけあれば基本的に生活が完結するっていうアイテムを紹介していきます。

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※ 全裸で撮影

 

なぜミニマリストを目指そうと思ったのか

 

僕がまだ元気に大学に通っていたころは、毎日せっせと重たいリュックを背負っていました。自分の部屋はモノだらけ(実家は今もですが。)

 

大学2年生で留学していたカナダで迎えた夏休み、カナダ横断一人旅に出たのですが、その時バックパックに入っていた荷物の 27kg。今でも鮮明に覚えている、圧倒的な重さ。

モノをたくさん抱える疲労と引き換えに、安心感を得ていたのでしょう。

 

そんな僕の考えが変わったのが、カナダ横断に続く、人生2度目の大きな旅。

かれこれ3年前、風呂敷だけを使って荷物を全て包み、その他カバンの類は一切持たずに10ヶ月かけて世界一周をした時のことでした。

今から考えたら本当にぶっ飛び企画ではあったが、やると決めたのでやり抜いた。

 

その準備をしている時に襲いかかる不安。

20kgも荷物を包んで、風呂敷が耐えられる訳がない。

 

終わってみて、風呂敷の丈夫さを知ってから考えると、浅はかではあったが、当時は不安しか無かったので、とにかく荷物を軽くすることだけを全力で考え続けた。

 

その結果、初めての1人旅(3週間)から 20kg の減量をし、世界一周風呂敷旅行中は7kgという驚異的な軽さで旅をする羽目になったのです。

 

そして、小さい荷物で歩くことが、快感に変わった。

 

なんという安心感でしょう。

何度も飛行機に乗ったけど、荷物を預けたことは1度もなく、常に手荷物。置き引きの心配も無く、空港やバスなど置き引きやスリが多そうな場所でも、荷物は1つで、抱えるだけ。

そして何より、移動が楽。

全ての荷物の数と位置を正確に把握しているので、荷造りも荷解きも数分で終わるという快適さ。

 

まあそこからですね。徐々にミニマリストに近づき、今では持っている服が旅をしていた頃に風呂敷に入れていた服よりも少ないくらいです。

 

さて本題ですね。

荷物の中身を晒していこうと思います。

「ここ!こうやったら少なくなるぜ!」みたいなのがあったら教えてくださいね。

 

 

まげくんの人生における主な登場人物

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※ 全裸で撮影

 

さて、1つづつ見ていきましょう。(今気づいたけど、Mac入れるの忘れてた…)

 

 

服はこれだけ。

 

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※ パンツ一丁で撮影

見た目は 365日 同じ服装をしています。史上最も高密度なヘビロテですね。


基本は右下の JAPAN BLUE JEANS のヒッコリーパンツ。ゆるくて楽です。

右上のKUROのスキニーパンツは、なんかちょっと真面目そうな服装をしてたほうがいい気がする時に着る用。このあたりは、またデニム愛についてまとめる時にでもゆっくり書きます。

 

真ん中上のお馴染みトラックジャケットは、スペインで買った思い出深いジャケット。みんなジャージっていうけど、これはトラックジャケット。さすがに古くなってきたので、先月メルカリで新しいアディダスのトラックジャケットを買ったのですが、これが思ってた感じと違ったのでお蔵入り。アディダス好きな人、誰かいりませんか?

 

夏になったので、衣替えということで最高の白Tを探しています。どなたかオススメありませんかね?生地が丈夫で、大量に買ってヘビロテするので5000円アンダーくらいが理想。

あと、下着類は今のところほぼ全てユニクロさんにお世話になっているのですが、近々フルリニューアルして、ファストファッションからの脱却をもくろんでいます。

 

洗面具

 

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左の風呂敷が歯ブラシ。横のスイカの風呂敷の中身がその右にある洗顔、眉毛カッター、耳栓(夜行バス、精神と時の部屋集中モード用)、めったに使わないワックス。

水分を吸収して外に逃してくれて、お手拭きにもなる風呂敷。

洗面系のアイテムは風呂敷に入れる以外、逆にどんな選択肢があるんだっていうくらいオススメ。

 

 

携帯電話
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iPhone5s シルバー

十分ですわ、これで。
Y!mobile のお店の人を2時間激詰めして、機種代金を分割無しの0円にした上で月980円で契約しています。格安SIMより安い。Y!mobile の人ごめんなさい。

 

 

鍵束f:id:ryosukemaehira:20170622221655p:plain

2015年に買った鍵束。見た目カワイイけどすぐにヘタるので正直替えたい気持ちではある。

 

鍵以外には、靴べらと、マドリード限定の十徳ナイフがついてます。恩師からのいただきもの。天下のVICTORINOXですね。めちゃくちゃ嬉しかったし、今でも事あるごとに使っています。大好物のアボカドを切るのが好きです。飛行機に荷物を預けない主義なので、こいつだけは海外に連れていけないのが悲しい。

靴べらは、個々数年で Reebok Insta pump fury しか履かなくなったので、使っていない。

 

財布f:id:ryosukemaehira:20170622222153p:plain

the RIDGE のマネークリップ

こいつがまじで強い。
Amazon のレビューがめちゃくちゃ多くて高くて、ポチりました。Abrasus の薄い財布と迷ったのですが、ビジュアル的にこちらにしました。
お札を挟む部分が金属のクリップのタイプと、ラバーベルトのものがあるのですが、僕は他のものを傷つけないために、見た目を犠牲にしてラバーベルトタイプをチョイス。

 

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 オモテ面はすごくカッコいい。
軽くて小さくて、本当に必要最小限で、かつ、チタン素材なのでスキミング被害から守ってくれます。ミニマリストアイテムの代表格

 

名刺入れ 

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去年の誕生日に大好きな仲間たちからもらった、天下のPORTERさまの名刺入れ。

愛用させていただいています。

 

スピーカー

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JBL 防水 bluetooth対応 スピーカー Philips3
コスパがすばらしい。音質も結構きれいなので、アウトドア、お風呂、オフィスなど、どこでも持っていって音楽流してます。2つ使うとステレオにできるんですって!

そしてこれと合わせて愛用しているのが、、

 

プロジェクター

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ASUS ZenBeam E1 ポケット LED プロジェクター

手のひらサイズで150ルーメンという明るさ。

6,000mAh のモバイルバッテリーにもなります。

3万円くらいしたけど、これでどこでもホームシアターができるので、スピーカーと組み合わせて野外映画鑑賞会とかしてみたい。

 

 

 

カメラ(と、レンズ)

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EOS6D
最近、ちゃんと写真が撮れるようになりたいなと思い、思い切ってフルサイズデビューしました。
レンズもこの2本があれば今のところだいたい事足りています。今のところね。


イヤフォン

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SONY MDR-XB70

7000円アンダーで買えて、重低音、高音もなかなか。

コードがきしめんみたいに平べったいので、ほとんど絡まることもなく、よい買い物をしたなと思っています。かれこれ3年くらいずっとこれ。

 

各種充電器類

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HARIBOのポーチ。ビレッジバンガードで見かけて音速で買いました。
各種充電器と、ポケット wi-fi 、プロジェクターが入ってます。カワイイ。

 


パソコン

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最後に、仕事道具であり相棒である、MacBook Pro 13inch mid 2015

背面には色々とステッカーを貼ったのですが、結局黒地にレトロなMacのアイコンが洗練されていてカッコいいと気づきました。カッコいいでしょ?

 

リュック

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4年ぶりにリュック買いました。上記の全てがすっぽり収まる25リットルのリュック。

こいつに関しては、またゆっくりと別の記事で紹介していきたいと思います。

 

 

 

いかがでしたでしょうか。

全部まとめて、たぶん4、5kgってとこですね。そして次回紹介するこのリュックが超絶背負いやすいので、もはや何も持っていないかのような錯覚に陥ります。

 

最後に余談ですが、荷物って、軽いより、小さいほうがいいんですよ!
ちょっと考えれば分かることですが、5kgの布団を抱えて走るより、同じ5kgの鉄球をポケットに入れて走るほうが断然ラクですよね?

体の重心に近い位置で、重くても小さいモノを持つのが、疲れない秘訣です。旅行とかキャンプの時にぜひ。

では!

 

不健康になりがちなオフィス生活で、雑穀米を炊いてみた。

オフィスに住み始めて3ヶ月。体の健康状態が気になってきたので、白米生活から脱却して雑穀米を炊いてみました。

※ 人が米を炊いて食べるだけの記事です。

体にいいお米が食べたくなったので、amazon熊本県産の雑穀米をポチった。

最初はいつも実家で親父が食べてる玄米にしようと思ってamazonにいったわけなんですが、雑穀米をオススメしてきたので、雑穀米を買ってみることにした。くまモンカワイイ。

 

これ ↓↓

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くまモンって本当に偉大だなと思います。先日、くまモンの生みの親、世界のアートディレクター水野学氏の本を読んだりして、自分の中でくまモン愛が高まっていたということもあって、上のやつをポチったわけなのですが、そもそもここにくまモンが出てきたのは、ビッグデータの力なのでしょう。すごい。


届いた

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届いた。うまそうである。そしてくまモンがカワイイ。

裏側はこんなかんじ。

 

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緑米、発芽玄米、黒米、赤米、押麦、ヒエ、アワ、キビ。

見るからに体に良さそうな原材料名欄。

炊いていくで。

さて、白米1合に対して大さじ1〜2杯と書いてあるが、オフィスには大さじが無いので、コーヒー用のやつで1合あたりコーヒー2杯分の雑穀を入れてみる。

白米は2合入れたので、コーヒー4杯分の雑穀米を投入。

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何ごとも、まずは濃いめで味わってみるもの。(今になって自信がなくなってきたが、きっと白米、2合入れたはず…)

 

と、ここまで来て、水をどれくらい入れたらいいのかわからない問題 が発生したが、そんなのは気にせず肌感覚でぶち込む。

経験上、お店で食べた雑穀ご飯はちょっと水分量多めのモチモチくらいが美味かった。

 

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そして炊く。

炊けた。

 

奇跡的なタイミングで、今炊けた。ここまで書いたこのタイミングで、炊けた。

 

上々の出来である。

上々の出来なのであるが、なぜか美味しそうに見えない。

専属カメラマンはよ。

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盛ると、こう。

いただきます。

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感想

 

美味い。白米の5倍美味い。

もうちょっと水を少なくして、塩をひとつまみ入れるとさらに美味しかったんだろうなと想います。

あと、どんなに変わった健康的な米を炊いても、お茶碗に盛られた米だけを食べるというのはやはり寂しい気持ちになるので、なにか付け合せがあるべきだと実感した。

 
オフィスで魚焼いたら、怒られるかな。

まだコンビニで消耗してるの? 前編

ふと思い立ったので、久しぶりにブログを書いてみます。

 

最近ずっと考えてる、コンビニ食生活について。当たり前だけどみなさんが気づいていないであろうことについて書きます。

 

(今手元に写真が無いので、「大きめの文字のタイトル + 写真 + 文章」というありがちで分かりやすい段落構成ができないですが、書いていきます。)

 

 

コンビニ食生活を経って2ヶ月が経ちました。

時が経つのは早いものですね。あかんあかんと思いながらも依存していたコンビニ食を、思い切ってやめてから早いもので2ヶ月が経ちました。

 

依然として夜更かしやパソコンの使いすぎなど、僕の生活には不健康な面がまだまだありますが、コンビニをやめただけで僕の生活にはさまざまな変化が現れました。

今日はそんなマイルド健康主義な僕が、コンビニ食についてお話します。

 

 

コンビニのサラダチキンを僕は「ゴミ」と呼んでいる。

間違った健康志向を掲げている人たち、つまり、なんとかがんばってコンビニで健康な食生活を試みようとしている人たちが好んで食べがちなのが、サラダチキン。

サラダという名前を冠しているにもかかわらず開けた瞬間ドロドロの謎の液体にまみれているサラダチキン。あんかけかな?

 

そんな彼らに問いたい。裏側の成分表示を見たことはありますか?と。

 

「鶏肉」以降知らないものがずらりと並んでいます。

チキンごときで何をそんなに混ぜる必要があるのでしょうか?サラダチキン以外にも例を挙げだすとキリがありません。というかコンビニで食べても大丈夫そうな食品を探すほうが大変です。

基本的に「防腐剤」と「調味料」だと思って問題はないでしょう。

 

ここに関してあまり専門的な議論を展開してもしかたないし、僕も実際そんなに知識があるわけではありません。重要なのは、冷静かつシンプルに考えることです。

 

 

結局ヒトなんだから、自然のものを食ってればいい。

 

コンビニ食品に色々と盛り込まれている「人工的な成分」を本当に摂取する必要があるのか?摂取しても人体に悪影響が無いのか?って話ですね。

議論の余地はあるかもしれません。しかしそれは時間の無駄だと思います。仮にそれらの添加物が身体に全く害がないとしましょう。100億歩ゆずってそうだったとしても、摂る必要性は無いです。

 

人工知能がどれだけ発達しようと、インターネットがどれだけ普及しようと、僕らは人間です。種としての「ヒト」であり、哺乳類の一種です。たまたますごく頭がいいだけの哺乳類なんです。

そんな僕らが、たんぱく加水分解物とか、亜硝酸ナトリウムとか、増粘多糖類とか、よくわからないけど圧倒的に人工的な雰囲気を放っている物質を摂取して大丈夫なのか?そしてそんな必要はあるのか?

 

答えは自明ですね。

考えるだけ無駄です。やめましょう。

 

 

コンビニ食を2ヶ月やめたらニキビと便秘がなくなった。

 

女性が人知れず抱えている(と僕が思っている)悩みランキング10年連続で同率1位のニキビと便秘を、僕は2ヶ月で解消しましたよ。

 

コンビニをやめたところで実際にどんな変化があるのか、何か明確な期待をしてやめたわけではないですが、嬉しい効果でした。

「なんか分からんけど、身体によくないことだけは分かっている。」そんなぼんやりとした気持ちで、ある種の怖いもの見たさでコンビニ食生活をやめてみました。

 

たかだか2ヶ月です。その効果はまだまだ未知数ですね。

 

 

「お金と時間を考えると仕方ないんだよ」というあなたに。

 

安心してください。コンビニ食生活を送っている方が、生活全体を見渡したときの時間とお金の消費は激しいです。

 

そもそもコンビニが安いという幻想からどうにかしましょう。

 

コンビニでお昼ごはんを買うと、どうがんばっても500円は超えてきますよね。飲み物とちょっとしたお菓子なんかを買ってると、結局1000円超えちゃった、みたいなこともたまにありますよね。

近年のコンビニは「プレミアム」という名前をつければ価格を倍くらいにしても売れると思っているようです。実際に売れているようです。

 

がしかし、800円くらいで美味しいランチが食べれるお店はたくさんあります。とりあえずそっちに行ったほうがおいしく食べれます。

 

あとはコンビニ食生活の弊害である(であろう)便秘やニキビ、そのた不健康な食生活から生まれる様々な弊害への対処療法も、なかなかお金がかかりますよね。寝る前に塗るニキビに薬を買ったり、便秘薬を買ったり、無駄な時間とお金がたくさんかかります。トイレもさっと切り上げたいですよね。

サク飯による時間的な弊害は、計り知れません。

 

不必要はコンビニ食による体調不良やお肌の異常に対する対処療法のためにお金を使っているという無駄にもそろそろ気づきましょう。

長い年月をかけて種として進化を遂げてきた人間。普通に生活していれば、基本的に薬なんていらないはずです。(僕は大学生活の中で4年間にわたって某ドラッグストアで働いていましたが、後半2年間は一度も薬を飲まない生活をしていました笑)

 

体質や遺伝はあるみたいですが、かなり軽減される、ということは僕が今回の実験において身を持って証明しました。

 

 

ためしにコンビニをやめてみてください。常に近くにあるコンビニですが、必要性は実はあまりないので、離れてみれば意外と寂しく感じないものです。

 

僕もコンビニをやめて本当に良かったです。

 

何ごともやってみるもんですね。

アクネス何とかみたいな薬を毎晩せっせと塗りたくっていた中学生の自分に言ってやりたい。「コンビニで毎日アイス食べるのはやめろ」と。 

 

 

 

僕の主張としてはまだここで半分くらいなのですが、長くなったので、いったん切ります。

今回はすごくネガティブな側面から「コンビニをやめるべき」という主張を展開しましたが、後編ではもっと楽しいこと書きますのでお楽しみに。

 

 

奇麗な部分しか見えない、奇麗な日本。

日本には、ベジタリアン=菜食主義者の人って、ほんとにいませんよね。
僕の知ってる限り、日本の著名人でベジタリアンっていったら、歌舞伎の市川海老蔵さんと吉本新喜劇の小薮数豊さんくらいですかね?ほんとに少ない。でもひとたび海外に行くと、ベジタリアンって驚くほどいます。ヨーロッパとか特に4人に1人くらいが何がしかのベジタリアンです。

日本にベジタリアンがほとんどいない理由を、これまで1人で考えてきた食べ物の話とつなげて、考えてみました。


(※この記事はベジタリアンを推進する記事ではありません。)


そもそもベジタリアンってなんなんでしょう? 

野菜(=ベジタブル)しか食べないわけではないですよ。果物はもちろん、豆もあれば、日本ではそんなに登場しないですけどナッツ類や穀物類も海外にはたーっくさん種類があります。
ちなみに、魚や卵、植物性じゃない油、根菜、牛乳、虫などを口にするかどうかはベジタリアンの度合いによるようです。(詳しく知りたい方は調べてみてください)

ではなぜ彼らはそのような食生活を送っているのでしょうか?
ベジタリアンな人々が動物類を食べない理由の多くは主に、

1)宗教的の理由
2)健康上の理由
3)道徳的な理由(動物を殺したくない)

です。

日本の人はこういうのをあまり考えない傾向にあるのでしょうか?

 

日本に照らして考えてみましょう。


(1)に関して。日本には特定の動物の殺生を禁じる宗教(ヒンドゥー教やイスラム教)の教徒はほとんどいない、かつ僕の知識が乏しいので、1は今回は置いておきましょう。

(2)に関して。 これは日本人は「和食は健康」ということを盲目的に信じ込みすぎているのかなと思います。

そして(3)。今僕が旅をしてて強く感じるのはこれです。(2)に通じるとこもあるんですけど、日本の人たちって、「自分たちが日頃何を食べてるのか意識してない」ですよね。加工食品とかインスタント食品、外食なんかもそうなんですけど、僕が考えたいのはもっとベーシックな食材。そう、ベジタリアンが食べない、「お肉」です。



南米なんかを歩いてると、豚の顔面、牛の顔面、全裸の鶏、全裸の豚、色々見かけるんですよね。最初にそういうのを見た時は「うわー気持ちわる。日本とは違うなぁ。これが異国か…」と感じただけでした。

でもそういう、「捌く直前の動物」を頻繁に見ているうちに、あることに気付きました。
「日本でも肉を食べている以上、当然のように同じことが起こっているはず。でも、日本にいるとそれが見えないだけ」なんだなぁと。



牛さん豚さん羊さん、などなど。見た事はありますよね?牧場なんかで歩き回ってるその愛くるしい(?)姿を。
そしてお肉屋さんに並んでいるパッケージに入ったお肉、これもみなさん見たことありますよね?

じゃぁその間の工程って、見たことありますか?

包丁を入れられる直前の豚がどんな目をしているか、鶏のあのぷるぷるの皮の部分が2秒くらいでベロンって剥がれる様子がどんなか、見たことありますか?

何事も無知は良くないとは言え、知らない方が良い事実っていうのも、世の中にはたしかにあります。でも、自分の口に入れるものっていうのは、自分の血となり肉となるものじゃないですか。僕個人の意見ですけど、さすがにそれは知っておくべきというか、意識はしておくべきだと思います。

ITの発展のおかげで、個人がいとも簡単に情報を得る事ができる時代がやってきました。FBやTwitterなんかでよく、「食用の鶏とか牛って、こんな風に工場で扱われてるんだぜ!」みたいな動画やニュースがFBなんかがあるじゃないですか。ああいった類のコンテンツがやたらとシェアされる理由の1つは、それを見た衝撃があまりにも大きい、つまりそれまで見たことないからじゃないかなと思います。


少し話が脱線しましたが、僕が日本で送っていた食生活は、あまりにも盲目的すぎたなと、海外の市場を歩いてその日の献立を考えながら、反省しています。





私事ですが僕は今、自分が食べるものを、こういうルールに基づいて決めています。
「その食べ物がこの世に生まれた瞬間から、お箸で挟む瞬間まで、その過程をこの目で見たと仮定して、テンションが下がるものは食べない」
野菜、果物、ナッツ、豆、穀物、はもちろん食べます。牛乳は飲んでます。昆虫も佃煮なら食べます。長らく食べてませんが卵も機会があれば食べます。魚は自分で釣って捌くのが平気なのでたまに出されれば食べます。鶏は基本的に食べませんが、ギリギリセーフラインなのでお腹がすいてたら食べます。
境目より一歩だけアウトよりな昆虫以外の虫はまだ食べてません。(健康を考えてこれから食べれるようになろうと考えてますが)
牛豚羊は食べてません。

一番ライトなベジタリアンです。(表現が正しいかはわかりませんが)


僕は主に上の(3)の理由で菜食主義を試していますが、(2)の健康上の理由も加味しています。あとは旅中ということで経済的理由もあったりもします(お肉は高いし管理と調理が大変)。

自分の食事を自分で用意するようになって、栄養の勉強を始めると、肉を食べなくても十分に栄養は取れるという事に気付きました。
豆類、穀物類、めっちゃ食べてます。完全食の卵も機会があればちょくちょく食べて、栄養価の高いナッツも国によっては安いのでもりもり食べてます。ファストフードは数ヶ月行ってません。おやつはいつも、ピーナッツ類か天然ポテチ(ジャガイモとオリーブオイルと塩だけのがスペインでめっちゃ売ってるので勝手にこう呼んでます)です。美味です。





私事はこの辺りにして、もう一度問いかけてみたいと思います。
(別に僕はベジタリアン生活をオススメしているわけではありません。オススメですけど。)

みなさんは、自分の身体を形作っている日頃の食べ物、どれくらい意識しているでしょうか? 

その結果何かが変わる保証はありませんが、自分の身体に責任を持って、ちょっとくらい意識して、考えてみるのもいいんではないでしょうか。

 


*********

ちなみに僕がベジタリアン生活を始めてオモシロい事に気付いたので、気になる人はこちらも読んでみてください。すごく短めですが割と真剣です。

 

ベジタリアンになって、自分の身体が極度に依存しているものが何なのか分かった. | 前平亮祐のブログ





Global Language という名の新しい壁

Global Language としての英語の在り方について書こうと思うんだけど、その前にまずはグローバル化について、言語という観点から触れてみる。

 

筆者(過去にカナダに1年間交換留学)がカナダという国で、その土地に住む人と、カナダの文化の中で、英語で話す時、カナダ語を話しているような気になる。1年住んで住み慣れている土地というのもあるし、単純に好きな国でもあるし、安らぎを覚える。アットホームというか、居心地がいいと言うか、第2の家というか、そんな気がする。僕は2度目にカナダに行った時、「戻ってきた」という表現を使った。

でも、ひとたびカナダから出て、アメリカ人、イギリス人、フランス人、中国人、いろんな人たちと英語で話してる時も、同じ感覚を覚えるというわけではない。自分の能力、スキルとしての英語を使っている気がするのだ。どこのの国にも文化にも根ざしていない、グローバルランゲージとしての、アイデンティティの無い英語を話しているような気分で居る。

 

 

昨今の一番強大なグローバルランゲージ=国際共通語、それは間違いなく、英語。

 

その要因となっているのが、アメリカ合衆国の経済的、文化的覇権。そんなアメリカ合衆国は、中世以降強大な力を持ち七つの海を制覇したイギリスの血を主に引いている。だから自然と歴史的にも、英語が国際共通語になっていった。

この歴史的事実に異議が唱えられるとすれば、それはまた別の場所で議論することとして、僕が今感じていること、考えたいことはここから。

 

 

昔昔、英語が共通語になる前の時代、ある特定の言語集団に属する人間が、ことなる言語集団に飛び込む時、その新しい言葉を学んで話す他なかった。

たとえば日本人の商人が貿易のために中国へ渡ったら、そこで中国語を学ぶか、もともと学んでいた中国語を使うかどちらかだろう。通訳が居たとしても、日本語と中国語の通訳だろう。

 

しかし今は時代が変わった。

ハローワンツースリーが通じる場所が、どんどん増えている。中国に行ってもタイに行っても、観光地なんかでは特に、ハローワンツースリー、そしてそれ以上の英語が通じる。

 

つまり、日本語と中国語、日本語とタイ語、そういう異なる言語集団同士の間に、「英語」という新しい便利な層を挟むことができるようになった。(もちろん挟まなくてもよい)

しかもそれは、どこかの国の英語ではなく、グローバルランゲージとしての英語。

 

その層が今世界中でどんどん広い地域に拡大して、網の目のように広がっている。(もちろん、地域によっては中国語やフランス語、アラビア語が共通語として機能している場所もあるけれど。)

 

そこで話されている英語という言語はとても便利で、その層が行き渡っている地域では便利にコミュニケーションがとれるし、その地域はどんどん広がっている。そういう意味で、英語は魔法の切符のようだなとも感じる。

 

そして、その層の中に自ら身を投じて、色んな国からその層に入ってきた人とともに闘っている(一緒に仕事をする)人、またその能力のある人が、グローバル人材と呼ばれる人たちであると思う。

 

ただ、例えばアメリカで、アメリカの文化を持つ人たちに囲まれて、アメリカの英語を使って闘える(働ける)人は、グローバル人材ではなく、正確にはアメリカで働ける人材である。(英語が使える、という点で、グローバル人材としての資質を同時に獲得している可能性は多いにあるが。)

 

グローバル人材と言うのは、自分たちのバックグラウンドや文化がある程度そのグローバルランゲージに染み出すものの、なるべく自分がもともと属している文化領域または言語集団から乖離して、同じようにしてグローバル化した世界(層)に浮き上がってきた人たちとともに闘うことのできる人たち、言わば空中戦を展開出来る人たちのことを指すと思う。

 

 

 

しかし僕がここ最近ずっと考えていること、それは、「必ずしもみんながグローバル人材を目指して、その層にいたがっている、とは限らない」ということ。

 

僕は言語と文化は密接に関連してると思うので、ある特定の文化集団に踏み込んで、その最深部にたどり着くためには、やっぱりその文化集団が母国語として使用している言語を話し、理解する必要があるとおもう。英語やその他の共通語でもある程度は理解が出来るし、仲良くなることはできる。それでも、例えば旅行をする人たちがよく「一言ふたことでもいいから、現地語を知っておいた方がいい」と言うのは、その第一歩であろう。

 

英語は便利だけど、その便利さを利用せず、現地語を学び、その文化の一部になろうとしている人たちに対して、グローバルランゲージとしての英語を押し付けることは、バリアを張ってるようなもので、「こっちの領域には入れてあげないよ」と言っているようなものだと思う。

 

ペルーで僕が経験した例が1つあります。

僕はスペイン語の持つ文化が好きで、スペイン語を勉強している。(正直一番好きな国はスペインだし、スペインのスペイン語とペルーのスペイン語はかなり違うけど、ペルーでは可能な限りペルーの方言を使い、スペインのスペイン語にしかない文法的概念は使わないようにしていた)

ペルーというの国の生活や文化に少しでも馴染みたい、知ってみたと思いながらクスコのとある小さなお店に入ったときのこと。僕はパンを手に取って「Quanto es?(これいくら?)」とスペイン語で聞いた。教科書スペイン語でも何でもなく、ペルーの人はだれもが当たり前に使う自然な表現。お店の女の人は乾いた声で「five」と返してきた。その時僕はいい知れない虚無感にかられた。

 

日本人としてのアイデンティティは保持しつつも、自国を離れ、順調に成長しているスペイン語を駆使してペルーという文化領域に首を突っ込んで、その文化を体験しようとしていた僕は、お店の女の人が「英語というグローバルランゲージによるコミュニケーション」を僕に押し付けてきたことによって、一瞬にしてアイデンティティの無いグローバル層に放り出されたような気がしたのである。

 

人はしばしば、自分のもといた場所を離れ、別の文化集団を旅行する。そして時として、想いがさらに強くなり、その地域に住み、その文化集団の一部になりたいと願うこともある。

その想いが強ければ強いほど、さきほどの例のように「グローバル層」に掘り出されたときの心のショックは、大きくなるのではと思う。

どこの文化、ごこの言語に置いても同じことが言えると思うけど、最近僕は日本国内でのことを懸念しているので、ここからは話の舞台を日本にしたいと思う。

「海外から日本に移住し、何年も住んで日本語もかなり話せるのに、未だに日本人として扱ってもらえない。未だに街を歩いていると英語で話しかけられる」という話を耳にしたことはないだろうか。

 

どうか外国語が話せるみなさん、英語が話せるからと言って、中国語が話せるからと言って、フランス語が、スペイン語が話せるからと言って、日本国内に居るにもかかわらず、見た目だけで人を判断して外国語を振りかざすのはやめていただきたい。

 

その最悪のケースが、生まれも育ちも人間性も生粋の日本人である人を、見た目がマイノリティであるというだけの理由で「グローバルランゲージというコミュニケーション」を押し付け、つまり英語で(ないし別の言語で)話しかけ、グローバル層に放り出してしまうことである。

 

僕はこれを、人種差別と呼んでいる。

 

 

 

 

昔は、自分の文化領域にとどまるか、相手のそれに踏み入るか、その2択しかなかったが、今はグローバル層の登場は、こちらに入ってこようと努めている人を簡単にその無機質な層に追い返してしまう危険性を孕んでいる。

 

英語学習が進むのはいいけれど、「街で外国人っぽいひとを見かけたら、英語で話してみよう」というようなまがい物のホスピタリティの普及を助長することだけは避けたい。

 

日頃から磨いている外国語を駆使するのは、まずは普段通りの言葉で話し、その人と自分の間に他の便利な言語が存在するとわかってからでも、遅くないのではないだろうか。

 

語学教材が英語ベースになってることに対して疑問を感じる。

個人的にYouTubeで言語を勉強するのが好きで、よく映画鑑賞なんかも含めてそうしてるんですけど、どの言語も解説のほとんどが英語でなされていることに疑問を抱いてる今日この頃。
現地の語学学校に行けば、当然のようにその言語でなされている語学学習が、YouTubeになるととたんに英語ベースになるんですよね。あれ、なんでなんでしょうかね。

 

YouTubeで配信されている語学教材のもともとのコンセプトは「語学学校を、世界中どこにいても手軽に味わうことができるように、インターネットで発信しよう!」というものであるはずなのではないのでしょうか?

 

 ここからは例として、アラビア語を勉強してる場合の話と思って読んでください。

 

たしかに英語が分かる人にとっては英語で解説してくれる方がわかりやすいし、その英語が話せる人が圧倒的に増えてると考えれば自然な流れととることもできます。

けど、動画という何度も繰り返し再生できる媒体であるであるからこそ、最初は難しく感じるアラビア語でも、教材として成り立ちやすい(分からなければ何度でも聞ける)と思うし、アラビア語のリスニング力なんかも含めて長い目で見れば、始めからアラビア語でなされている動画の方が学習効率がいい気がするんですよね。

 

それに英語が苦手な人にとって、英語で専門用語を連発しながらアラビア語を解説している動画はかなり見づらいと思うし。英語を知らないとその他の言語に手を出す資格は無い、と言っているようなものである気もしますし。(そりゃあんまりですよね…。)なんかもう誰も得してない気がしてきましたわ。

 

ゆっくり丁寧なアラビア語でやってくれればいいのになぁと思うわけです。

 

 

 

これは僕がいつも感じてることなんですけど、すでに知ってるアラビア語の文法事項とかについて、英語でゆっくりゆっくり懇切丁寧に解説されたら、なかなかしんどいんですよ。
1つのチャンネルを見続けるわけじゃないし、知ってることについて2度目の説明を受けることってよくあるんです。
それでも、もちろん知らないことも出てくるし、新しい発見もあるやろうということで、見るんですよね。「うんうん。それは知ってるよ」って思いながら。

 

でももし、この懇切丁寧な2度目の解説がアラビア語でなされていたら、僕ならそれを「リスニングの練習」として消化できると思います。話してる内容は復習で、用いている言語はアラビア語アラビア語を勉強してる人にとっては最高の環境ちゃいますかね?

 

 

国際共通語としての英語でなされる語学教育。より多くの人のために、ということなんやろうけど、真に全てのアラビア語学習者にとって利益になるのは、アラビア語によるアラビア語教育であると思います。

 

 

 

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最近「国際共通語としての英語」について斜に構えて考えてる記事が多いですが、決して英語が嫌いなわけじゃありませんよ!

 

国際共通語としての英語も、カナダ語としての英語も、使えてほんとうに良かったなと思います。(※使い分けれるわけじゃありませんし、今のところその必要も感じていません。)最近で言うと、スペインに来る飛行機の中で、字幕無しの英語で映画を見ててクライマックスで心にジーンときた時なんか、「ああ、この段階まで来たんやな」と思ってちょっと嬉しかったですし。

ちょうど2年前の今ごろ、初めての一人旅でカナダを横断した時、僕の言う「旅ニケーション力」みたいなのが本当に無くて、英語もままならなかったので、苦しいことも多かったし、なによりみんなの会話に付いて行けなかったのが寂しかったのをよく覚えてます。

 

今では英語もそれなりに向上してて、旅の道中でできる友達の数が圧倒的に増えました。

 

だから僕は英語はできて損は無いな、と思います